東海道五十三次…現在20番目の丸子(Total=183.1km)
ゴールまでは残り312.3km。ファイト♪
男女ってのは不思議なもので、全く相容れない価値観を持った二人が惹かれあうこともあるわけで、だからこそ色々な事件にも発展したりするんだろうけど。
この頃立て続けに知り合いや友人の離婚話を聞いて思うのは、やっぱり離婚を切り出す側っていうのは、何か一つが嫌だとか、許せないとかじゃないんですよね。色々積み重なったアレやコレやがあって、話を切り出す出来事は単なる引き金に過ぎないことが多い。
そういう時って、彼女達の話を聞くと、もうそれまでに散々悩んで、苦しんで、自分を責めてみたり、我慢してみたり、変わろうとしてみたり、それでもダメってことでダムが決壊するような感じなんですよね。
根っこには「全く違う価値観を持っている二人」ってことがあるんでしょうけど、これを片方が「そうだよね」って自分を誤魔化して合わせていると、いずれは破綻しちゃう気がするんですよね。
そもそも「何にどういう価値を認めるか」ってのはごく個人的なもので、「正しい」とか「正しくない」ってなものじゃないんだもの。
最初は「価値観が似ているので」って付き合いだす二人が「価値観の相違」で別れちゃうのは往々にしてあることで、「価値観が同じ」ことは、実は二人の仲を続ける上ではあんまり関係ないように思えるんですよね。だって全ての価値観が同じなんてことはあり得ないんだもの。
寧ろ、問題なのは「価値観が違う」って時に、それをお互いが認められるかどうかなんじゃないかと思うんですよ。
価値観の違いで必ず大変なゴタゴタは起こるけど、最終的には、
「私はこういう価値観だけどあなたは違うのね。違うけどここまでは譲れるよ。」
「僕はこういう価値観だけど、そっちの価値観も認めて考慮するよ。」
って片方だけじゃなく、お互いが落とし所を見つけることができればいいですよね。
それを一方的に価値観を守ろうとするから、積み重なってダムの決壊に繋がっちゃうのかもしれないですね。いや、私もエラソーなことは言えないです。実際難しいですよね(^^ゞ
「価値観」という譲れないものだけに、Aのしたい事がBの価値観を侵害する。Bのしたい事がAの価値観を侵害する、ってことになるから結構やっかいなんですよね。
だいたい、これって戦争が起こる原因そのものだったりするから、「価値観の違うものを認められるか」ってのは、人類永遠の課題と言えるのかもしれない(大げさ(笑))
いずれにしろ、私の周りで離婚の決まった彼女達は、自由になった喜びに若鮎の如くピチピチ元気になっています。以前にも書いたけど、簡単に離婚していいとは言えないけど、決して離婚するなとも言えないんですよねぇ。
自分を押し殺して生きるなんてのは、やっぱり精神衛生上良くないですもんね(^.^)